代替不能

 最近、一乗寺が名店『極鶏』(1)にて至高の逸品を食べたく、夜は寝てもたってもいられない状態が続き、どことなく上の空な日々が続いていたのですが、先日(つうか、日付変わって一昨日、正確には2012年10月31日のハロウィン)バイト先の同僚と夜の12時15分前に一乗寺に見参。が、しかし、目当ての極鶏は11時に閉店。そんなことは周知の通りで、これもまた一乗寺日本ラーメン界に誇る『高安』で一杯、僕個人としましては2年ぶりのラーメンを平らげてきたのでした。が、しかしながら、世の中には代えがきかないもの、代替不可能なものがママあり、食べ物なんていうものはそれの最たるものでして、更にはラーメンなんて言うものは気休めに近似値的なものを食べたところで欲求不満、フラストレーションが溜まるだけでございます。限りなく近似的な麺ひとつとっても、やはり各お店のスープとの兼ね合いでその文脈は全く違う意味を為すもので、あの極鶏の、これぞ京都ラーメンだとしたり顔で言わんばかりの極濃鶏スープに絡みつく細麺の、噛む度に切れよく香る小麦の旨みを、一体他の店でどうやって味わうことができるものか。(2)高安の中華ラーメン、汁の一滴も残さず平らげるもさして満足できず、冷たい雨空の下自転車を走らせて家路に着く。埋めがたいあの味わいを想起し、反芻しつついつか近い将来あの極上の一杯にありつけることを夢に見つつ。

 んで、次の日いてもたってもいられず再び一乗寺に行き『極鶏』にてお昼を済ます。昨日夢に見た味を今日この舌で味わう。ただ、それだけのことだ。

 とはいえしかし、最近一抹の不安がよぎる、健康的に。あんな濃厚でうまいラーメン2日連続で食べて満腹満足、なんつって日々愉快に過ぎればそれは物語にもならないほどごく平坦な日常にすぎないが、こんなペースでラーメン食べてりゃ、エンゲル係数が跳ね上がる、というか、そんなことはまだ全く屁のつっぱりですらなく、この生活を続けることで予想される疾病、尿道結石、痛風、糖尿病、つまり、成人病まっしぐらである。

 そこで、僕は今日から禁ラーメンを宣言する。極上の一杯、代替しがたい至極の味を我慢しなければならないことは腸を切るほどに心苦しいことだが、それよか現実に足の指が千切れる方が恐ろしいこと甚だしい。覚悟を決め、自分の体を労るだと心に誓いつつ、深夜の一時、マルちゃんの緑のたぬきが美味すぎで満足。

 お昼を済ませた道すがら、塾講先で小論文に困っている高校3年生を思い浮かべる。彼にとっては1000ものマス目が宇宙ほど広大だと感じているようだが、それなりに歳とった僕たち(3)にとっては15分ハーフの少年サッカーのごとき制限だろう。そうは言っても、高校生にとっては1000字で世界を変えることができるアイデアが浮かぶのだと躍起になっているかもしれない。しかしながら、そんな彼に言いたい。「たった1000字で世界を変えることができるのならば、マルクスなんて必要ないだろ。」このセリフを頭に浮かべ、悦に入りつつも、あまりに稚拙な、中2らしいと自己反省し、家路に着く。



(1)http://tabelog.com/kyoto/A2603/A260303/26017870/

(2)いや、味わえない。

(3)25〜30歳くらいの人たちを想定している。